三浦綾子ミニ文庫
北海道を代表するクリスチャン作家である三浦綾子氏。
管理棟内の一室を展示室として、彼女の著作物や資料を集め公開しています。
貴重な資料もございますので、三浦綾子文学ファンや彼女の著作に影響を受けた方はもちろん、あまりよく知らないという方もぜひお立ち寄りください!
川湯ビレッジ三浦綾子ミニ文庫は平成5年(1993年)11月に開設されました。
翌年8月に発行された川湯ビレッジ通信には、文庫の開設によせて三浦綾子さん当人から贈られたメッセージが掲載されています。以下に全文を紹介させていただきます。
こんにちは、みなさん三浦綾子でございます。本日は三浦綾子ミニ文庫の開設おめでとうございます。
川湯ビレッジ通信 No.15 (1994年8月17日発行)より
池上さんをはじめ多くの人々の美しい願いが、今日ここに実ったことを心からお祝いしたいと思います。
この自然の美しさの中に、その美しさに育てられた人々の友情がどのように発展していくか、私も遠くから祈りをもちつつ拝見させて戴きたいと思います。
私は小説を書いておりますけど私の願いは本当に人間とはどんなものだろうかということをどこまでも神の前に考える人間でありたいということなのですけれども、それが小説なり随筆の中で生きていたらどんなにうれしいかと思います。
ちょっと長くなりますけれども、ここで私はある1人の人を紹介したいと思います。私の随筆をお読み下さった方はよくご存じだと思いますけれども、もう今は亡き人である神谷みえ子先生という方がいらっしゃいます。精神科の先生です。
この先生の生き方に私は心から本当に深くうたれてまいりました。クリスチャンであるこの先生はその頃クリスチャンであったかわかりませんが20才そこそこの小女でした。見学かなにかで長島愛生園(ハンセン病療養所)を訪ねました。その時に目のつぶれた人、鼻の穴のふさがった人、耳も手も本当に目をそむけるような痛ましい姿をした人々を彼女は見かけたのでした。
その時に私たちならその人たちを見てどういう事を思うでしょうか。文章を書く事を求められたら、どの様な感想文を書く事ができるでしょうか。
まだ20才を過ぎたばかりの神谷みえ子先生はこういう詩をつくりました。
「らいの人に」
どうしてこの私ではなく貴方が
貴方は替って下さったのだ
どうしてこの私ではなく貴方が
貴方は替って下さったのだ
私はこの一節を読んだ時程驚き感動した事はあまりありません。
私ならば、もっと嫌悪の情をあらわにせずにはいられなかったと思います。その人の悲しみとか、おかれた立場というものを考えることを私はできない人間です。
私は人間としての自分をいつも見ていますと、自分が常に中心になっています。ところが神谷みえ子先生のこの発想は決して自己中心ではなくて、どうしてこの自分がらいにならなくて貴方がらいになったのですか。
貴方は私の替わりになってくださったのですね、というすばらしい言葉だと思います。
神谷みえ子先生は、のちに精神科医になりました。そして色々の学問をなさいましたけれども晩年、長島愛生園の精神科の医師として務められました。
20才時代のその気持ちはちっとも変らなかった。
私達は人を見る時に、不幸にあつた人に「どうして貴方はそんな不幸続きなのですか。貴方は何か悪い事をしているのですね」という目をもってきっと人を見ると思います。体の弱い人、貧しい人、たてつづけに災害にあう人、そのような人々に注ぐ私達の目の冷たさは、つねに自己中心のために生まれ出るものだと思います。
キリストは自己中心をもっとも嫌われました。不幸な人にむかって「貴方は替って下さったのね」といえるそういう温かい目を教えて下さったのはイエス・キリストの十字架であると思います。私達キリスト以外に自分の罪を救っていただける方がいない事を、神谷先生のこの詩によって数えられるような気がします。
この今日の新しい開設されましたミニ文庫は「貴方は替って下さったのね」という温かい愛情に育てられて、本当にこの世にない友情を育てて下さるのならどんなに嬉しい事でしょうか。
但し、私は小説を読むのが好きでそのうち書くようになったわけですけれど、人間として決して立派なところは一つもありません。間違っても1人の人をあまりかいかぶらずに、この人も私自身もそしてあの神谷みえ子先生も十字架なしでは神に数われれる方法はなかったということを皆さんで話し合っていただけたらと思います。
今日は皆さんおめでとうございます。頑張って下さい。人々がおもわずさそいいれられる様なすばらしい空間をつくって下さい。どうも失礼いたしました。
